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お偉いさんが語るような、頭の堅い話じゃないです。
先日の現代社会の授業を受けてて、ふと思ったこと。
今、高度経済成長期の話を学習してます。
日本全体の復興を目指し、10年以上もの過酷な労働が続いたと聞きました。
10年と言ったら全く未来が分からない、回復の見込みがあるのかすら予想し難いものだと思います。
これほどの長期的な期間を生き抜いた労働者たちや上の機関に、尊敬の念を抱かずにはいられません。
ここでふと感じました。史学という分野は、起きた物事ひとつひとつを知ることが第一ではなく、自分たちが生活している上では理解し得ない長い社会の歴史を俯瞰して、現在の社会……、身近に言えば人生の糧にする意義のある学問ではないのかと。
上であげた話においては、物事を長期的に見る必要性とその結果についてを感じられます。大きな物事を動かそうとしてもすぐには成し得ない。ただ、地道に行動していくことは必要なのだ、と。
勉学も芸術も一緒で、未来は見えないけれど、実力を積み上げていくことで開花すること、それが漠然ながら感じ取れると思うのです。
つまり何が言いたいのかと言うと、各々の教科で教えられている内容そのものに大した意味はなく、それをいかに自分にとっての糧として見てアレンジできるかということが、勉強に対して見出せる有意義さだと思うのです。
数学や化学のいやに複雑な数式云々を理解してそれをそのまま使えるのは、その道に進む人だけ。だからと言って意味がないと割り切るのではなく、折角学校に通っていて避けられぬ道なのだから、逆手にとって他に自分にとって有意義に働かせる方向はないのか探すのも悪くないと思うのですよ。
英語だって、生活に困らない程度の力だけで良いような気もしますが、英文が作れるようになればイラストにちょこっと英文をのせてお洒落な雰囲気にしたりとできますし、曲の歌詞に出てきた英語の意味がすぐに理解できてさらに深く理解できたりしますしね。
案外どの教科も、どんなくだらないことに対してであっても糧に成り得ると思うんですよね。
そう思えば勉強もさほど悪いことでもないかな……などと。
そんなことを思った、昨日の4限目。
うわあ……、長い文章。
なんか呟きたいなと思って来たのに、いつの間にか語りに。
平日はどうしても予習と小テスト勉強に時間を食われて、なかなかPCできないから色々と溜まる……。
では、また明後日あたりにでも顔出すと思います。